プロメアのバーニッシュ差別描写について批判が出てるけど、納得いかない。
結論を先に述べると、「差別をテーマにした作品ではないからあれでいい」。
じゃああれはなんだったの?ってことについて真剣に考えてみた。
※プロメア本編に関するネタバレを含みます。
※本編を観ていない人はこんな記事読まないで映画館に行ってください。
差別がテーマだとしたら、描写も結末も不十分
プロメアの差別描写を批判している意見で多いのが、「被差別側が一般人と同じになることで差別が解決する結末は良くない」というもの。たしかにその通りだ。
プロメアとバーニッシュが我々にとってはファンタジーであるということを抜きにしても、差別描写を扱った物語だとしたら不自然だろう。
もし、差別の解決や人間とバーニッシュの共存を目指す物語だとしたら、
・プロメアやバーニッシュが消える結末にはならない
・リオの思想や出生について掘り下げる必要がある
・炎の正体を「並行宇宙の生命体」設定にする必要がない(病気や体質でいいはず)
・地球のマグマが~のくだりが全部不要な展開になる
・一般市民の視点を持つガロ、被差別側の視点を持つリオ、弾圧する側のクレイを中心に、人間vs人間の話になる
差別の解決を描きたいのであれば、あんなスケールの大きいドンパチやらなくても、ヒューマンドラマとして展開できると思う。
じゃあプロメアの差別描写はなんだったの、って話。
「バーニッシュはいなくなった」という結末を、序盤で描かれた差別問題の解決策として見るから、腑に落ちなくなるのだと思う。
あと、差別描写について過剰反応している人は見方が偏っているように感じる。
バーニッシュは宇宙生命体とのシンクロで起きる、というファンタジーな設定からしても、現実におけるマイノリティーのメタファーとするには無理がある。
SFアクションを描いた作品であって、差別問題を社会的に掘り下げる作品ではない。
SFアクションの舞台設定として
差別を描いたからといって、作中で明確な解決をしなければいけないわけではない。
SFやファンタジーは「ここはそういう世界です」という前提で話が進む。
バーニッシュ差別も、そうした世界観をつくる要素の一部だと考えればいい。
・一般市民が抱く炎への恐怖
・クレイの人物像
・マッドバーニッシュによる襲撃や脱獄の目的
・外道なエンジンの存在そのもの
・対立していた2人が和解するきっかけ
ざっと思いつくだけでも、これだけのことに説明がつく。
限られた尺の中、わかりやすい対立構図や世界観を描くための設定として機能しているのは間違いない。
ジュブナイルとして
差別描写が舞台設定に過ぎないのはわかった。でもあのオチって何も解決してない!
じゃあなんであんなオチなのかについても考えてみた。
「プロメアはジュブナイルだから」これに尽きる。
少年少女向けの、冒険と成長を描いた物語。
リオにとって自分の一部だった炎(プロメア)を失うことの切なさと美しさ。
戦う必要がなくなり、新しい生き方を見つけなくてはならない。
世界からバーニッシュがいなくなっても、「元バーニッシュ」に対する差別が消えるとは限らない。マッドバーニッシュの罪も消えるわけではないし、リオは生きてその罪を償わなくてはならない。ガロは人間と人間(元バーニッシュ)の和解に奔走することになるはず。この結末は解決というより、大人になっていく2人への試練だと思う。
差別描写について意見が飛び交うのも仕方ない
バーニッシュは迫害されているという舞台設定を、序盤で差別問題として取り上げすぎたから、モヤモヤが残ってしまうのだと思う。それは仕方ないと思う。SFアクションにジュブナイル的な要素も入れたエンタメ作品にしては、重たいなと感じる。
ただ、「差別がテーマの作品」として、批判されているのは納得がいかない。
人間関係を描く話ではないからこれでいいんだよ、と思うのは浅はかなんだろうか。